色彩ムーブメントの旅
近作について2024
創世記の天地創造物語は私にとって常に霊感の源であり続けてきた。自然の中で感じ、見つめ続けて来た色彩をもって私の心の動きを表現したいと思い続けていることは変わっていない。色彩達が宇宙の営みにも似た拡散と収縮を繰り返し、その流れに任せた創作が続いている。
そして今、私は記憶の中に堆積した数々の色彩が自由な筆さばきの中に溢れかえるようになった。もう絵画の中で色彩と戯れる私は永遠にそこに留まるであろう。
2024年も私の持つ筆は自由な色彩ムーブメントの旅を続けている。夕方、どこからともなくそよ風が吹いてきたのを感じた。どうやらアダムとイブが茂みに隠れたようだ。
ルーヴル美術館で模写
ヨーロッパ絵画とキリスト教建築にあこがれ、日本を旅立ってヨーロッパを目指してから今年で45年。
二十歳の若さで生まれて初めて訪ねたパリの街、ルーブル美術館という途轍もなく奥深い美術の広がりに歴史を改めて認識し、ヨーロッパ中の古都に聳え立つ大伽藍に心洗われながら、自分が変えられていくことに驚きと戸惑いを感じた。ルーブル美術館で西欧絵画を深く知るために模写を始める事にした。
作品を前に一点三か月間模写が出来る事を知り、毎日のように美術館に通った日々だった。
素描と私
パリの美術学校のデッサン科に在籍して、この時期ほどデッサンについて考えた日々もなかった。
私における洋の東西接点は『写生』と『デッサン(Dessin)』にあった。『写生』と言う言葉には、美しさを引き出すという主観的な行為が込められているように感じるし、『デッサン(Dessin)』にはルネッサンスから続く科学的な客観性を漂わせた言葉だと思っている。
絵画を進化させていくビジョンやインスピレーション・深い精神性の富んだ創作というものは、手を動かして体で感じ取ったものの中からしか生まれて来ないことをデッサンを通して学んだ。
初期絵画
私の具象期の絵画作品は印象派とシュールレアリズム絵画に影響を受けた。
具象絵画というものは、何か不可思議な所がなければならないのだと思っていた時期だった。美術評論家の金沢毅氏が私の絵画について次のように批評している。『高橋の作品を見て思い出す言葉がある。それはかつて美術評論家の故坂崎乙郎が、芸術 とは何かとの問いに対し、『芸術とは詩想を造形化したものである』と回答したことである。
芸術の特性を一言で言うのは至難の業であるが、この返答には私も納得するものがあった。高橋作品の魅力の一つは、フランス人画商をも魅了した現実と非現実の対比である。』
抽象絵画への道
抽象絵画について考えていた頃、多くの印象派の画家達が色彩の豊かさを求めて外光の下で絵を描いたように、私もイーゼルを外光の下に据えた。
早朝の朝、林に煙る青紫の靄に神秘を感じたり、昼下がりの午後、石造りの古い教会に降り注ぐ小麦色の日差しの中で生まれる葡萄色の陰に心を奪われたり、黄昏時に、珊瑚色から夜の帳が下りて青紫に静かに変わっていく一日の終わりの色彩の饗宴に感動したりしながら、四季の移り変わりを見つめ続けた。
そして、絵画の命は色彩だと強く思いそれを大切にしていきたいと思った事だった。
初期抽象絵画
野原や木立の寄り添う川辺、森の中などで写生を積みながら、自然と心の対話を大切にした日々。フェルメールが彼の作品の中で、時の流れを止め、自然や人々の営みを永遠の中に封じ込めたような抽象画を色彩の組み合わせを持って表現してみたいと思った時期だ。
『高橋は、かつてダヴィンチやフェルメールの絵画にみた「神秘的静寂感」を、様式の上では対極とも取れる色彩主導の抽象絵画の内に表現しようとしている。丹念な「素描」の積み重ねの上に生まれる“色彩画”とでもいうべき彼の抽象世界は、まさにこの作家が一貫して追究してきた「絵画の精神性」そのものである。色彩そのものによって生み出される奥行と、並び合う色面の関係による秩序とは、和洋を越えて精神的な空間を築いていくのである。』 外舘和子(元茨城県つくば美術館主任学芸員)